人のエッセイのタイトルを変えて良いなら、もはや表現に未来なんてない

まずはこちらをご覧ください。

 

山崎ケイ原作「ちょうどいいブスのススメ」ドラマ化でタイトル変更 - ライブドアニュース

 

【簡単な経緯】

お笑いコンビ『相席スタート』の女性の方、山崎ケイさんのネット連載をまとめた書籍が売れる

書籍ドラマ化の話が出る

しかしタイトルが【ちょうどいいブスのススメ】であったこと、ドラマの設定や説明に非難殺到で炎上

タイトル変更

 

と言う流れです。

 

これは由々しき事態です。

これが通るんならなんだってできちゃうじゃないですか。もうそんなの、表現の自由すら許されてません。

本来ならばプロデュース側が適切な設定や適切な説明をして、双方納得のいくような解説をつけて落とすのが妥当だと思うんですよ。仮に説明が不足していたのならばそこを説明すればいいし、設定がおかしかったのなら本来エッセイで言いたかったこと、ケイさんのメッセージに沿うような設定に変更すれば良いだけの話。

どうしても説明が付かないってんなら、そんなもの作り手の実力不足が見え見えなので作るの止めりゃいいんですよ。なんかなんだ、空いた時間にしゃべくりの再放送でも流しておけばいいんですよ。

それを非難が集中したから、ケイさんのメッセージなどは無視して自分達はエスケープ。なんで原作者を守る気がないんだよ。

まあエッセイ本のドラマ化なんてロクなこと考えてねえんだなって言うのはさておいて。

(※芸人が絡んでしかもエッセイでドラマ化って言うと、一応前例に『ブスの瞳に恋してる』があって、アレは大成功してるわけですよ。ブスってついてるのに。)

人が出した本を勝手にドラマ化しますと言っておきながら、その本とはちょっと違う趣旨で話を進めて、いざ炎上したら本につけられた意味も考えずにタイトル変更。

これケイさん怒って良いぞ?と。どうしても納得がいかなかったんですよね。

 

いろいろ調べました。

 

前提として、本来ケイさんが言いたかったのは、別に「わいはブスや!プロ芸人ブスや!お前もそうやねんで。まず一回認めてみよか(肩ぽん)」と言うことではなく、「自分の容姿にコンプレックスがあっても、それを乗り越えられるポジションを探す生き方もいいんじゃない?」と言う趣旨の内容であり、それはケイさん本人も炎上後のインタビューで語られてます。

「ちょうどいいブスのススメ」の炎上 山崎ケイが女性たちへ思い - ライブドアニュース

ちなみにこちらで、「この手の話になるとケイさん美人だね、って言われるけどそう言うことじゃない」とも断言しておられます。

コンプレックスってそう言うことです。そこが理解できないと、この話はもう永久に解決されません。

そして、ケイさんはそのコンプレックスを何とかはじき返し、男にモテるため、モテ女として活躍するために見つけたのです。

『ちょうどいいブス』と言う、このインパクトのあるワードを。

つまり、マイナスをプラスにするためのワード。

(エッセイ自体が男にモテるハウトゥ本ですしおすし)

引きのある言葉であり、マイナスの印象がありながらも、話を聞いていくと『今の自分を受け入れて、男のために変わる、男にモテる為のテクニック指南』だと言うことが分かっていきます。

 

タイトルだけで叩いている人はあれですか?『おっぱいバレー』とか『人のセックスを笑うな』とか『夫のちんぽが入らない』とかにも抗議しました?ちゃんと。

 

……と、普段なら何も知らんで突っ込む側に怒りを覚えるが、いや、むしろ今回は抗議側よりも、制作側の判断とか、色んなものを叱責したいです。いやほんと。

一億総批評家時代とも言われるSNS到来まっただ中の今に、誰からも全く非難されない作品を生み出すことなんて不可能に近いんですよ?

それを何で自ら焚きつけられる要素を増やしちゃうんですかね。ドラマ化!とか言いましたけど、あんたらこそエッセイちゃんと読んだの?

ケイさんは誰かをブスと言いたいわけでも、誰かに「あんたはブスだから現実を見ろ」と言いたかった訳でもない。

なのにドラマでそのモテたい誰かを世の女性全員とか言うクソデカ主語にして、『お前はブスだ!ちょっと一回ブスと仮定して見ろ!ブスだろ!だから男にこびるぞ!』みたいなクソクソ&クソな趣旨説明してたのはあなた方ですよね?制作側ですよね?

(参考資料として、今回の炎上事件をまとめ+『ブスの本懐』作者が解説した記事→『ちょうどいいブスのススメ』炎上を『ブスの本懐』著者はどう見たか?/カレー沢薫 | 女子SPA!)

ドラマの設定がおかしかっただけ、あんたらの作った架空の設定がおかしかっただけなの

そして自分達の非を一切認めずに「いや違うし、でもうちらの伝えたかったこと伝わんないからタイトル変えるわ~、これでさすがに誰でも分かるべ?コンセプト分かるべ?」でしょ?

ケイさんの思いは考えずに?

 

そりゃオメェ、なめてんのかよって言われるでしょうよ。

 

しかも、ちょうどいいブスって、コラムじゃなくてケイさん自身が芸人として発信してたワードそのものですからね。

それを否定する、自分から変更していくってことはケイさんが言いたかったことそのものを握りつぶしてることに違いないんです。それって正しいんですか?

今までのケイさんは?自分のコンプレックスを認めた上で、そのコンディションで人に気に入られよう!と言う意志をコラムにしていたケイさんは?前向きな気持ちを発信していたケイさんは?それらを書いたケイさんの気持ちや思いは全部無視ですか?それがクリテイティブ側の判断ですか?

 

こういう時、芸人の立場というのはなぜか弱いものです。

ケイさんに支援の声もいくつかあったはずです。ただ、それはドラマ化された書籍を評価した声であり、ドラマ化されたソレのことはまだ何も言える段階ではなかったはず。

夏菜はブスじゃない」とかはもう今更どうでもいいので置いておきますが、みんな、ケイさんを応援する声は、彼女の考え方に賛同していたからだったはずです。

その声すらも、当初のドラマの設定はことごとく無視していたわけです。

 

何というか、制作側の思考がどんどん弱っているなと感じる事件でした。もっと頭を働かせれば、まずそもそも炎上はしなかった。引きはあったから多少の非難はあるだろうけど、内容を見てある程度は納得するはずだった。けれど現実そうはならなかった、その理由をちゃんと考えて欲しい。これ以上ケイさんにいらん世話を焼かせないで欲しい。

何よりも、エッセイ本をドラマ化しようとして、タイトル変更を余儀なくされたとか、恥ずかしいと思わないんですかね。その辺考えながら生きていって欲しいですね。

 

ちなみに私、未だに『トリガー』のドラマ化を待ってるんですけど、アレはドラマ化されません?高校教師は板倉さん本人にやってほしいってもう数年言い続けてるんだよなぁ。