どうしてゲームが好きなのか?(幼い頃の記憶を取りまとめる編)

得意ではないけど、好き。

私はそんなタイプだ。ゲーマーだけどゲームが上手いわけではなく、だからって別に下手でもなく知識がないわけでもなく、コンシューマーも携帯型もやるけどスマホゲーもがっつりやるし、たまにアーケードも遊ぶ。そういう感じの存在だ。

じゃ、なんでゲームが好きになったのか?

ふと疑問に思ったのでいろいろ思い出してみることにした。

 

確か最初の接触は、私がまだ小学生で、その当時は埼玉にいたわけなのだが、友達と言うのがとにかく少ないながらもなんとかいた、その当時の友人の家で見たファミリーコンピューターだったはずだ。

確かタイトルは『星のカービィ』。別にプレイした記憶とかはないのだが、人の家で目撃した記憶だけははっきりと残っている。

しかしそれならまだゲーマーだと言うレベルでゲームにハマっている理由にはならない。だって『見た』だけで『遊んだ』わけじゃないし。

もう一つ記憶があるのはミッキーマウスのゲームなのだが、これがいつ頃のものなのかどうも記憶がおぼろげだ。けれどゲームボーイだったか?スーファミだったか?ミッキーマウスが水みたいなのをぶちまけるゲームだった気がする。魔法だったかなぁ。

(あまりにもおぼろげすぎて何も思い出せない)

 

と言うわけでさらに数年記憶を飛ばすと、それは確か家の都合で引っ越しして、生まれ故郷である北海道に戻ってきた時のことになる。

やはりその時もやんちゃで、しかし学校では虐められていたし、よく傘を壊したり道に迷ったりしていた。漢字もぜんぜん覚えられなくて苦しい日々が続くこともあった。

(それから数十年後、高校生のときに多動性注意欠陥だかなんだかと診断されたそうなのでまあしゃあないっちゃしゃあないのだが、勿論その当時はそんな言葉も病気も無く。母にも辛い時期だったと思う。いや、今でも辛いかもしれない)

さて、そんな私が遊んでいたのは何かと言うと『ポケットモンスター』だった。

そう、ポケモン初期に子供時代ががっつりとバッティングしたのである。

そら、そうなるよ。ゲーマーになるよ。

あの頃の私と言えば、常にポケモンやってたし、すぐポケモンをバグらせてオニドリルに『だいばくはつ』を覚えさせたものだった。ポケモンスタジアムが出たのはそこからかなりあと(ニンテンドー64でしたよね?)だけど、そこでオニドリルにだいばくはつさせるの楽しかったですよ。使えたんだね……。

その頃から空想やストーリーを作るのがとても好きで、それを加速させたのはアニメのポケモン天才テレビくんだったのだとハッキリ断言してしまおうと思う。

いやー、あのころのお花みたいなのが画面に出てきて左右に動かすゲーム、覚えてます?あの『ウマイウマイ』ってやつ。なっつかしー!

 

ってそれゲーム関係ねぇー!!

すいません、つい脱線しちゃった。

 

ポケモンに関しては、ピカチュウバージョンを自分の足で予約して買いに行ったほどなので相当ハマっていたことは間違いない。

ニンテンドー64も確かねだって買ってもらったんじゃないだろうか?それでポケモンスタジアムとか、ピカチュウげんきでチュウとかやってたもんな。やー、懐かしいな。

なんか、こう書くとかなり最近の話のように思えるが、それでもまだ私はダンプカーで轢けば染みになるようなちっぽけな子供だった。

それに、そうじゃない。違う。私がゲーマーになったきっかけはこれじゃない。

 

そうだ。

スマブラだ。

任天堂オールスター 大乱闘スマッシュブラザーズ』だ。

 

スーファミも家にはあったから、それまでにスーマリ(スーパーマリオブラザーズ)やったり、スパデラ(星のカービィ スーパーデラックス)をやったりしてた。ヨッシーはちょっと記憶にないけど、誰かが『ヨッシーアイランド』をやってた気がする。あとゼルダシリーズは私よりも、4つ下の弟が得意だった。私は全然出来なかったのでいつもニワトリを虐めては殴り殺されていた。無念。

当時、この『スマブラ』はとても画期的だった。他のタイトルのキャラクターが一堂に会し、みんなで『誰が強いか決めよう』と言うまさにスーパーなゲームだったのだ。

私はピカチュウ、やつはなんだったか……。

ちなみにこれまた、友達がいると面白いゲームだったのだが、やっぱりその当時も友達がいなかったので、いつもCPUと弟を殴って遊んでいた。

スマブラ』は本当に面白いゲームだった。ステージやアイテム、キャラクターでいつも勝敗はバラバラ。無限に遊べるゲームだった。あんなもの子供に与えちゃダメだろうなと今なら思う。

 

その辺と順番が前後するが、『桃太郎電鉄』『桃太郎伝説』と『ニンジャタートルズ』関係を遊んでた(全部スーファミ)のは少し前の頃。そういや、『レイヤース』のゲームもやってたけど、風ちゃんの試練で詰んで進まなくなったんだった。アレ原作再現だったのかなぁ。死ぬまで耐えたんだけど、何も起きなくて、何回やり直してもクリア出来なくて、そこでぱたっと辞めてしまった気がする。

あと今や伝説と化した『セーラームーン』のベルトコンベア式(いわゆる横にスクロールするタイプのもの。一回行ったら戻れない)のやつもやってたし、『セーラームーンのぱずる玉みたいなの』もやってた。思えばパズルゲーム好きはその頃からかもしれない。ああ、『さめがめ』も一時期ハマってたぞ……。

天外魔境』もやってた気がするけどあれはいつ頃だ……?巻物をふたつ組み合わせたりする必殺技が好きだったなあ。あれは2なのかな?ゼロ?

 

と、挙げれば挙げるほど色んなタイトルが出てくる。でもきっととっかかりは『スマブラ』だったのだ。

さらに追い打ちだったのが『ドラクエ5』だったんだろう。父がよる、寝る前に遊んでいたのをよく見ていて、自分も遊んでいた。パルプンテが好きでよく使っていて、戦闘がいきなり頭からやり直しになった時は泣いた。

とても楽しいゲームだったのだが、中身がバグったのか自分のデータだけが毎回削除されてしまうようになり、そのうちやらなくなった。多分クリア出来ていない。

なお、その頃母は寝る前に『弟切草』や『かまいたちの夜』をやってたんだとか。おお、チュンソフトとのつながりはこの頃からか。恐がりな私は弟切草とかは怖くて出来ず、母の「何回もやるたびに色んな人が犯人になるんだけど、こないだは館そのものが犯人だったわ……」と言う理解の範疇を越えたネタバレでばかうけしていたのだった。

 

そしてその後64がキューブになり、『NARUTOの格ゲー』が登場する。再不残(※ざぶざ)でカウンターするのが超楽しかった……。

 

……と。任天堂の記憶ばっかりだな。

時を少し動かすとそれは私が中学生の頃、V6にアホみたいにハマりジャニオタ化していたあの頃になる。

その時はゲームボーイゲームボーイミニかなんかになっていたのだけれど、うちには弁当箱みたいにぶっといゲームボーイしかなくって、それで『ポケモン金銀』をやっていたような、まだカラーは持ってなかった気がする。あと『カービィのピンボール』だの『カービィ落ちゲー』だの『カービィのゴルフ?ゲー』だの色々……最後のはスーファミじゃないか?まあとにかくカービィばっかりだ。

友人が持っていたのはなんとワンダースワン、それもカラーだ。『HUNTER×HUNTER』のゲームをやらせてもらった記憶があるけれど、ってちょっと待って、ハンターってそんな前から連載してます!?うそやろ!?

待てよ……『グリードアイランド』も一回やらせてもらった記憶があるな……アレは何年前だ?

 

……おとなしくしよう。

時代わり高校生になった頃、うちには間違いなくプレステ2があった。

熱狂的にプレイしてたのは『FF9』だっただろうか、いとこから借りたものだ。当時『モンスターファーム』も人気で、それも貸してくれとせがんだが最終的に喧嘩別れした(モンスターファームは自分のじゃなくて借り物だったらしい)。

その後は『FF10』が記憶に残っている。ここまでくると相当新しい気がするけれど、それでも十年以上前の話なので血の気が引く。だがこれも詰んでしまったのだ。あまりにもボスが強すぎて。あんなに遊んだのに、あんなに努力したのに、それでも詰んだのだ。

 

自力でちゃんとクリアしたゲーム、で行き着くのは、『MOTHER3』だった。アレはゲームボーイアドバンスか。もうカラーだった。

勿論ポケモンもやったし、その当時の人気である『ロックマンエグゼ』シリーズもやっていたのだけれど、でも記憶の中にあるのはこのソフトだ。

 

今までのシリーズを遊んだことがないのに、前評判だけで『MOTHER3』を買った。キャラの名前を特に弄らず、好きなものを入れてぽちぽち遊ぶ毎日。あの独特な世界観、ドラムロール式の体力と魔力、敵が怖くなさ過ぎるイラスト、耳に残る音楽、心に刺さる言葉の数々……。あのゲームだけはよく遊んだ。何十時間もやったし、確か二週した。

ドアノブを見つけ心が躍り、次はどこで出会うのだろうとわくわくしながら進んでいたのに、最後の最後だろうなと言うところでドアノブを床から下に落として、それが酷くむなしく感じた。

そして(ネタバレになるからあんまり踏み込まないけど)ポーキー、クラトス、主人公に関わる敵も味方も、誰も彼も全員が救われるわけではない展開にひたすら泣いた。

特にサルがかわいそうだったんだ。最初は。ヨクバに電撃を流されて言うことを聞かされていた、あのサルが。

そして、ラスボス戦を終えると訪れるのは一枚絵で描かれた竜巻と、エンディングにも似た、暗転。

当初、そこからどうしようもなくて、あ、このゲームはこの暗転で終わるのか。そうか、セーブとか無いから直前からやりなおしか、と思い、何度かそこでゲームを終わらせていた。………のだが。

ある日気付いてしまった。その暗転のなかで、『動けることに』。

あの時の気付き、そしてその後の展開でまたひと泣きして、『MOTHER3』は私に大きな衝撃をいくつも与えた作品として記憶に刻まれたのだ。

 

大学生になってから、ゲーム好きはもう直るわけがなかった。

そしてその時にはもうWiiがあり、Wiiスマブラが出ていたので、大学のサークル部室でみんなでずっとスマブラをやっていた。楽しかったなあ。あそこで『パワプロ』もやったし、『かまいたち』もやったし、『ドンキー64』も『007』もやったんだ。

DSを自分で買ったのもその頃だろうか。オードリーがCMをやっていて、ピンクのDSが溜まらなく可愛かったので買ってきた。どのタイトルをやっていたか思い出せないけど、確かその時もポケモンだっただろう。

 

二度目に人生をゲームに費やしたのは、そこからさらに時が飛んで数年後。私が大学を中退し、深夜のカラオケでバイトをしていた頃だった。

 

その当時はかなりやんちゃした。よくオールしたし、ニコ生で放送もよく持っていた。ちなみにその当時にお世話になった某店長(今はもっと偉くなってる)は、未だに私のことを覚えており、嫁さんともどもたまーに生放送を見てくれるらしい。うれしい反面死ぬほど恐ろしい。私の投稿とかも知っている。恐ろしい。このブログもばれてんじゃねえか。恐ろしい……。

 

時同じくして私の目に飛び込んだのが、『ダンガンロンパ』だった。

やってみたいけど、人が死ぬゲームなんでしょ?と思っていたらコミカライズされたので、とりあえずそれを読んでみたらさっぱり意味不明だった。理由は後から分かったのだが、この最初にコミカライズされた『電撃版のダンガンロンパ』、ぶっちゃけるとネタバレマンガだったのだ。

つまりどういうことか。『ロンパ』は高校生同士が殺し合い、殺人を犯したもの=クロを学級裁判と言う話し合いで見つけ、裁いていくゲームだ。あろうことか、このコミカライズは犯人(クロ)側の視点を描いたマンガだった。そら初見は意味不明に決まってる。当たり前だった。

そんなこんなだったので、やってみようと思い立ったちょうどその頃にはなんとスマホ版が配信されており、当時はauのアプリ使い放題にもこれが登録されていた。

天恵!とばかりに意気揚々とプレイした結果、何十時間も仲良くなるのに費やした葉隠に「内臓寄越せ」「国籍寄越せ」「困ってるのに助けてくれないなんてオメーは友達じゃねぇ」と部屋を閉め出された。ええ……?その直後最後の学級裁判なんか入っちゃったもんで、しかも声優にてんで詳しくなかった私がおぼろげに覚えていた顔出し声優が中の人と言うこともあって、どっっっっっっぷり葉隠にハマったのである。

 

今私が文章を書くことが好きなのは、『ロンパ』に出会ったから、葉隠にハマったからだ。

だから本当に感謝している。私の世界を広げてくれた『ロンパ』に、葉隠に、この物語を作ってくれた小高さんに、販売してくれたスパチュン(スパイクチュンソフト)に。

 

すげー長くなったので残りはまた今度。